第3回
 
一隅を照らす
 
チャンスをつかむ
 

  エノモトくんは、もうすぐ島根大学4回生。就職活動に焦りを感じている。新型コロナウイルスの感染拡大が就職活動に与える影響は、今後深刻さを増すかもしれない
 
 ただ、こんな時だからこそ、島根に残りたいという思いは強くなった。東京の満員電車は避けたい
 エノモトくんは最近「生きる力」について考える。買い物に行くことができなくなったら、まともに生きていけるのか? 世の中何が起こるか分からない、そんな時「食べ物を育てる」仕事をしていたら助かるかも?

 そんな単純な理由で、一次産業に興味を持った。今まで島根で知り合った一次産業に関わる皆さんは輝いて見えた。島根に残るなら、豊かな自然と関わる仕事をしてみたい

 ナンキさんは「生きる力」という話を聞いたことがあった。ナンキさんの地元の特産品「西条柿」を育てる小松正嗣さんが、Iターンして農家になったきっかけの話だ――

柿壺株式会社代表取締役
小松正嗣さん(38歳)

兵庫県加古川市出身。出雲の皆さんの話し方は「のんびりとして優しい」。自分の地元の言葉はちょっとキツイので、と普段は関西弁は使わない。話し方にすぐ馴染むことができたので、自然と島根に溶け込めた


 

生きる力を
考える

 ナンキさん(以下―ナ):小松さんは柿農家になるまで何をしていたのですか?

 小松正嗣さん(以下―小):僕は神戸市のベッドタウン、兵庫県加古川市出身です。高校卒業後、島根大学に進学しましたが、勉強以上に音楽活動に夢中になり、大学を中退。プロミュージシャンとして、島根で音楽を作って東京や大阪でライブをする生活をしていました。ただ、職業として続けていくことが難しく、27歳の時に地元に戻り、IT関係の会社に就職、ホームページの制作やネットショップの運営をしていました

 エノモトくん(以下―エ):一度地元に戻られて、また島根に

 小:きっかけは2011年の東日本大震災。僕は中学生の時に阪神・淡路大震災(1995年)を経験しました。父の会社が半壊し、事務所を訪れて会議室の扉を開けると一面の焼け野原。今でも忘れられない光景です。そんな経験もあり、「何かしなければ」という思いから東日本大震災の後、ボランティアで岩手県へ行きました。ところが「何もできない」。土砂を片付ければすぐに疲労困憊(こんぱい)。食事の準備も、被災者の方に声を掛けて励ますことすらできない。自分は「生きる力」がないんだなと実感しました
 

小松さんの畑。収穫前に完熟して渋みが抜けた柿を食べて驚くエノモトくん。「甘くてめちゃくちゃ美味しい!」。足が早いので出荷できないが、農園を訪れたら食べられる味。観光がてら見に来てもらい、柿を楽しんでもらいたいというのも小松さんの夢の一つ

 

 
 

桃栗三年
柿十年?


 エ:震災と新型コロナは違いますが、僕も最近そう感じています。なぜ島根へ戻り、どうして柿農家になったんですか?

 小:命を育む農業は生きることと直結していると思ったんです。とはいえ農業のことは全く分からなかったので、知り合いを頼り、岐阜の飛騨高山でトマト農家のお手伝いをした後、大学の後輩の紹介で、出雲市の牧場へ。住み込みで働いていた時に、西条柿と出会いました。柿は和歌山県などが有名な産地。大学時代から通算で9年間島根にいたのに、島根の柿は全く知らなかった。でも、食べたら味は日本一だと感じました。感動し柿農家になろうと決意。出雲市で1年間の弟子入り修行を経て、2014年に独立しました。出雲市の北山山系は、斐川平野に接する南斜面の日照条件が良く、粘土質の土壌も発育の環境に適しているから美味しい。なにせ「くにびき神話」で神様が引っ張ってきた土地です。それを自分が知ってしまったことに使命感を持ったんですね。この美味しさを、伝えなきゃって

 ナ:柿がある風景は、子どものころから当たり前でした

 小:僕が始めた頃、1・5ha(ヘクタール)だった畑が7年経った今は9ha。柿農家は高齢化が進み、「うちの畑もやってくれないか」と頼まれます。6年目に人手が足りず管理を断ったことがありました。その畑は1年で背の高さまで雑草が生えボロボロになり、「廃園にするとこうなるのか」と。新たに柿の苗を植えると、本格的な収穫は10年先です。失うのは一瞬。美しい風景を守るのも僕らの役目だと感じました

 エ:Iターン者として生活面で不安はありませんか?

 小:妻は東京出身者で、お互い両親が県外で暮らしています。子育ての面でお互い実家に頼れません。しかし、夫婦で同じ仕事をして価値観を共有できるのは農家ならでは。とても人間的と感じています。それに娘の保育園が広い。都会と比べるとどこも広いです。自然の中で伸び伸びと。これは贅沢だと思いますが地元の方はそんな風には思いませんよね。島根には地元の人には当たり前すぎて気づいていない、輝く何かがまだまだたくさんあると思います。幸運にも僕は島根で一生の仕事と暮らしに出会えた。ここで「島根の柿の魅力」をもっともっと輝かせたいです
 
 
 

地元商工会議所青年部に所属し、ボランティア活動の一環で平田中学校で3年生を前に「働くこと」について講演する小松さん。様々な活動を通じて地域に参加し、友人も増えた

 
 

 小松さんから農家の担い手不足の話を聞いた。「それじゃあ今すぐやってみようかな」なんて思うエノモトくんにナンキさんが尋ねます
 
「単純に就活生として憧れる就職先はないんですか?」
 
「そうだねぇ、島大から GAFA……とか就職したら、カッコイイかもね」。冗談半分に応えるエノモトくん

 「ガーファ ? Google、Apple、Facebook、Amazonのことですよね?確か私の職場と取引がある方で一人おられたような…… ?」
 聞けばその人は43歳のUターン者。一体どんな働き方をしているんだろう――

グローバルIT企業でリモートワーク中/島根県よろず支援拠点 専門サブコーディネーター/ミラサポ専門家登録/出雲商工会議所専門家登録/ NPO法人の理事長や、株式会社の代表も務める
桑谷謙吾さん(43歳)

出雲市出身。インターネット通販の自社サイトを開設していた2007年、人気エクササイズ商品「ビリーズブートキャンプ」を取り扱い、競合他社サイトを押しのけて販売日本一を達成するなど、検索エンジン上位表示を狙った通販業務で実績を上げた。現在はその知識を「島根県よろず支援拠点」などで積極的に地域に還元している

 



 エ:世界的な企業で働いておられると聞きました

 桑谷謙吾さん(以下―桑 ):はい、グローバルIT企業でアメリカ本社採用、フルリモートワークで働いています

 ナ:働き始めたのは2019年からですよね?どうやったらそうなるんですか?

 桑:大学が神戸だったんですが、学生契約社員としてリクルートに籍を置き、アルバイト情報誌の広告主を探す仕事していました。22年前です。初めてのお客さんは精肉店。無理にお願いして広告を出してもらいましたが、募集はゼロ

 エ:広告はお金がかかりますよね

 桑:出雲の実家も商売をしていました。小さな企業にお金を使ってもらうことの重みは理解していたつもりなのに無駄使いさせてしまった。そこでチラシをつくり、駅前で配りました。ノウハウは書店で立ち読みしたビジネス書から。肉を使ったレシピを掲載、女性の店員さんを「肉っこ」という看板娘に仕立てて「一緒に働きましょう」など全部ボランティアでやりました。結果、集客に貢献し、店の売り上げが大幅に増えました。仕事は万事そういう姿勢で取り組み、お客様の売上げを伸ばして、そのお礼に広告を出稿してもらえるという好循環が生まれました。その後、国内のインターネット関連企業の上場に携わり、営業成績は全国トップクラスに。ネット広告運用などの知識も得て絶好調でした


 

選ぶ動機は「人」


 ナ:神戸でかなり順調だったのに、島根に…?

 桑:そうです。経営が思わしくなかった家業を助けようと、2004年にリクルートを退職し、帰郷しました。自分の力で家業を盛り上げられると信じていました。でも甘くなかった。家業が抱える大きな借金を返すため、新聞配達や、着ぐるみに入って踊ったり。少しでも自分の時間をお金に変えようと必死で、とにかく現金が必要だという状態を経験しました。神戸で培った知識を生かしてネット広告の運用も業務として行い、徐々に成果が出始めました

 エ:成果が出るまでは苦しかった……

 桑:帰ってこない方が楽でした。2つの選択肢があって、あえて厳しい道を選んだけど動機は人です。島根には自分のことを本当に必要としてくれる人がいました。最初は両親や祖母。今は妻や子どもたち、友人や、お世話になった人、必要としてくれる人のために自分の力を使えていると思います。世界的な企業に籍を置いていますが、目的は自分の能力を高めるためです。そうすれば、還元できるものが大きくなる。エノモトくんも島根に必要としてくれる人がいるんじゃないですか?

 エ:今となっては島根の知り合いの方が多いです

 桑:その後、個人的に毎月かなりの金額のネット広告を運用していたのが理由で、昨年、今の会社にスカウトされたんです。遠回りしていますが、全部つながっていると感じます


 
 

ライバルが少ない
地域で目立つ


 エ:今のお仕事の内容は?

 桑:求人広告の運用。世界中から、企業に必要な優れた人材を探して紹介します

 エ:どんな人材が世界で求められているのですか?

 桑:「シナリオを描ける人」です。優れたシナリオは人の心を掴みます。ドラマの登場人物の生き様に憧れたり、真似たりしませんか?

 エ:脚本家、ですか?

 桑:単純にそれだけではありません。例えば島根県の「島根創生」。これは知事や県職員の皆さんがこれからの島根はどうあるべきかというシナリオを描き、その世界へ皆さんを導こうとしている、とは言えませんか?ドラマ、ゲーム、仕組み、しまね留学もそうです。経営、政治。優れたシナリオはたくさんの人を共感させ、没頭させ、楽しませたり、生きがいを与えたり、世の中を変化させたりします

 ナ:この世界は、誰かが描いたシナリオの組み合わせの上に成り立っている……

 桑:シナリオは個人にも必要です。夢と言い換えてもいいかもしれません。自分なりの夢を持ってそれを輝かせる。「一隅を照らす」という言葉が好きです。地方にいてもそこで最大限輝くことができれば、立派に世界中を照らすことができる。言葉をそう解釈しています。僕はライバルが少ない小さい地域で目立つことで、世界など大きなチャンスがやってきた。2人にも同じようなチャンスはあるはずです
 

 
国が全国に設置している無料の経営相談所「よろず支援拠点」。桑谷さん(中央)は島根県よろず支援拠点の専門コーディネーターとして、Web・IT活用、事業計画などについて相談に応じる。 ※写真は昨年のもの。現在は感染症対策を徹底した上で相談に応じています