もちろん本音は、
このまま島根で暮らしていたい

 

 
「就職どうしようかなぁ、島根に残るか、東京に帰るか悩んでいるんだ」
 エノモトくんがつぶやいたのは、今話題のオンライン飲み会ならぬオンラインお茶会でのこと。参加者はエノモトくんの高校の後輩で、社会人2年目のナンキさん、そして島根中央高校時代の恩師である立石祥美先生の3人
 現在は島根県教育庁勤務の立石先生に参加してもらったのは、最近2人でよく話す「なんとなく田舎に住むのが不安」という漠然とした悩みを相談したかったから
 エノモトくんは、東京都世田谷区出身で、高校入学にあわせて川本町へやってきた。一方、ナンキさんは出雲市出身で同校に進学、今は出雲に戻って働いているので県外で暮らしたことがない。「先生、私ずっと島根にいるんですけど、やっぱり一回くらい外に出てみた方がいいですか?」
 立石先生は、同校が県外生の受け入れを積極的に行うようになった際の最初の担当者。町外から進学してきて寮生活だった2人に母親のような距離感で接してくれた
 「うーん ナンキさんは仕事楽しくないかな?」
 「楽しくないことはないです…。っていうか島根で、ここでがんばるって思っているんです。でも自信がないというか」
 「僕は給与のこととか……」
 「なるほど」と立石先生がうなずく
 「仕事をどうするかだもんね。仕事って誰かの役に立つことをするのが基本じゃない? 誰かを喜ばせたいとか、そう考えるとどうかな?」
 「『誰かを喜ばせる』ですか……」2人にとっては意外な質問だったようで、なかなか言葉が出ない。立石先生が質問を変えた。「2人は島根に、川本町に進学してよかったと思ってくれてるのかな?」
 「はい! もちろん」と元気よく応えた2人に立石先生が続ける「私、来週川本に行く予定だから、あなたたちも高校に来ない? なぜ2人が川本に来てよかったと思えるのか? 『島根にいていいのかな』っていう2人の不安がどこから来ているのか、何か手がかりがあるかもよ?」

 「確かに。僕たちは何を不安に思っているんだろう」――

 立石先生の提案で、2人は一路、島根の真ん中、川本町にある母校・島根中央高校に向かった

 

学生が積極的に
地域に参加することで
土地への愛着が
強く育まれたと思う(立石先生)

 
 
立石先生(以下―立):どう?久しぶりの川本は 

ナンキさん(以下―ナ):石見川本駅の前を通ったのでJR三江線のラストランを思い出しました。生徒だけで立ち上げた「インスタグラムに写真を投稿しませんか」という企画、覚えていますか? 先生や川本の人は、私たちの発言を否定せず、いいね、やってみようよって応援してくれて、その経験が自信になって、今の自分につながっていると思っています

エノモトくん(以下―エ):夏まつりや産業祭、イベント出店して楽しかったなぁ。かなり町の人達と関わらせてもらってましたよね

立:高校生が手伝いに行くことで、町の皆さんも喜んでくださったから

エ:僕は、東京では、いい大学に入らないと人生も失敗というプレッシャーを感じていたけど、川本に来て他にもできることが沢山あると思えました

ナ:私は、周りの皆がちゃんと話を聞いてくれるのがうれしかった

エ:町役場の方や、皆さんがよくしてくださったので、川本での暮らしが楽しい思い出になったと思います

立:2人の感想を聞いてうれしいけど、全員がそうだったわけじゃない。個人的にも反省点が沢山ある。それでも県外生の受け入れを進めることができたのは、歴代校長のリーダーシップ、教員のチームワーク、町の人たちの協力があったから。そして私達教員からみて「生徒に良い影響があると思えた」から
 
 

都会から来た子たちが
地域のよさを教えてくれました(立石先生)


エ:先生は以前、価値観の違う生徒が同じ教室にいることで、生徒同士の「視野の広がり」を感じたと話しておられましたよね

立:東京の人は現実にいるのか、いないのか実感がなかったけど、東京の人も別に同じ高校生だと思えたって言う子がいて、印象的だったな

エ:言われた事があります。普通だねって

ナ:校庭に猿が出た時、神奈川の子が本当にびっくりして「先生、猿が動物園から逃げてきています!」って。都会の子はこういうふうに思うんだって、私もびっくりしました

立:そういう細かい発見が重なって、都会から来た子たちが地域のよさを教えてくれました。地元の子は自分の地域には何にもないと思っているのに、都会の子がびっくりしたり、いいなぁと言ったりする。それで地域肯定感が高まったから
 
 

見方によっては島根だって最先端
だから、いろんな人から話を聞いてほしい(立石先生)

 
立:さて、2人の悩みは「島根にいていいのかな」だったよね。島根は田舎だから都会と比べて遅れていると思うかな? でも一方で、島根は「課題先進県」で最先端だ! なんて言われることもあります。遅れているのか最先端なのか、人それぞれの見方によって違う。だから、いろんな人の話を聞いてほしい。いろんな人の話を聞いて、川本が好き、本音では島根に残りたいと思っている「島根の魅力」は何なのかを、探してみたらいいと思う

ナ:確かに、本音では私、川本も自分の地元も大好きです

エ:いろんな人︙そうだ! 僕たちによくしてくれた役場の皆さんに会いたいです
立石先生との会話で、
あらためて感じた川本への愛着。
 
そして自分たちが町の人たちに
お世話になっていたことを思い出した
エノモトくんと、ナンキさんは
学校から歩いてすぐの川本町役場へ向った。
 
久しぶりの2人を役場の皆さんは
温かく迎えてくれた――
 

公立高校進学におけるもう一つの選択肢として、
全国的な取り組みとなった「地域みらい留学」は、
島根発です(伊藤さん)

 
ナ:立石先生から県外生受け入れが本格的に始まる際には、町の方々と一緒に奔走したとうかがいました。その時の話を聞かせてください

伊藤:最初は定員割れを改善するために必死。県外生の受け入れは今でこそ「しまね留学」としてシステム化され、県内の高校が一緒に開く説明会やバスツアーがある。「地域みらい留学」として全国的な取り組みにもなった。でも最初は何もなかった

左田野:田舎では進学に関しては中学校の先生が相談に乗ってくれるけど、都会だと塾の先生が進路相談を受けると聞いて、塾をターゲットに東京で説明会を開催しました。塾の先生からは、生徒に来て欲しいという事は分かるが、どんな生徒に来て欲しいのかが全く分からないと。学校や町のPRよりも、どんな子が輝ける学校か、どんな子に来て欲しいかをPRすることに方向転換し、試行錯誤しながら募集する生徒像をしっかり説明すると、少しずつ人が集まって来るようになりました

伊藤:地域の方の協力も欠かせません。例えば県外生一人ひとりに町民がボランティアで行う「まち親」制度。病気やけがなどの緊急時にサポートしてもらう制度ですが、我々からお願いすると心よく引き受けてくださる方が多いです。愛情深いサポートをしてくれる町の皆さんには、本当に感謝しています

吉村:町の皆さんからは、高校生の姿を見るだけで元気をもらうというお話を聞きます。私たちも、毎日登校する生徒たちを見られる事は幸せだと感じています

左田野:現在の島根中央高校はいろいろな出身地の生徒がいるのが魅力になっていると思います。一方、地元の子どもが何人来てくれるかが気になっています。地元の子にも自信を持って選んでもらえる高校であることが一番大切だから
 
 

川本に愛着をもつ卒業生が
全国に広がりつつある(竹下さん)


吉村:卒業生はこうして訪ねてきてくれたり、部活の指導や学園祭にもよく来てくれたりします。卒業しても川本町とつながりを持ってくれる

エ:全国に川本に愛着のある卒業生が広がっていると思います

竹下:例えば、田舎暮らしをしたい人がいた時に「川本町はいいところだよ」って紹介してくれたり、実際、ふるさと納税などで町を応援してくれたりする卒業生の方もいるのでうれしい
 
 

せっかく入学してくれたのに 「こんなはずじゃなかった」と
そんなふうにだけは 思ってほしくないからね(左田野さん)  


左田野:地元の学生も含めて、せっかく入学してくれた学生さんに後悔してほしくなくて、できる限りのことはやろうと。地域でお預かりする子どもさんだから、なるべく笑顔で過ごしてほしい。その思いで活動していました。それが、この川本に愛着を持ってもらえたきっかけになっていたならうれしいね  
 
立石先生との会話で
印象に残った言葉「視野の広がり」。
東京では偏差値にとらわれすぎて
視野が狭かった、と
感じているエノモトくんにとっては
重要なテーマだ
 
視野が広そうな「オトナ」の人、
町唯一の司法書士で、
川本町議会議員も務める香取亜希さんは、
エノモトくんにとって塾の先生。
進路相談や、時には恋愛相談にも乗ってもらった。
「きみの勉強は、勉強のうちに入らない」
「意外と何も考えてないよね」など
時折厳しい言葉もいただいた、
ちょっとだけ怖い存在の人だ――
 

決めつけない方がいい。
自分のことも環境のことも、
見方によって違うから(香取さん)

 
香取亜希さん(以下―香):エノモトくんの中で前よりも視野が広がるというのは、いいことだよね。でも、他人と比べて「あの人は私より視野が広い」とか「狭い」とかいうのは、一概には言えないのかなと思う。同じように「都会」「田舎」の優劣も難しい。エノモトくんは東京より川本が合ったみたいだけど、しまね留学でこっちに来た子の中には都会の方がよかったという子もいたよね?

エ:そうですね、でも自分は川本に来てからが楽しかったという印象です

香:東京から来たエノモトくんはここでは少数派だからね、ある程度注目されたり、地域の人もよく来たねと迎え入れてくれたりするし。私のような大人の移住者も同じだけど、都会で大勢の中に埋もれてしまっていた人が、人の少ない川本に来てのびのびと暮らせるようになるっていうのはある
 視野が狭くなってしまって苦しいときに、環境を変えてみて、自分にできる事が見つかれば、気持ちも楽になるよね。ただし、そこでうまくいったことを自分の実力だと勘違いしてはいけないし、逆の立場、迎え入れた地元の子らがどう思ったかも考えないといけないと思う

ナ:川本だったらという考え方はできていませんでした

香:私は高校生のころ、世の中のほんの一部のことしか知らないって、そう思っていて。大学では外を見ようって、東南アジアをバックパック背負って旅して、その経験が、幸せってなんだろうと考えるきっかけになった。旅行者という少数派になって気づくんだよね

エ:実際は今、就活で、東京か島根か悩んでるんですけど……

香:エノモトくんの場合、縁があって島根にきて、周りの環境にも恵まれて、今いろんなことさせてもらえている。東京で特にやりたいことがないのなら、まずは島根で目の前のことを一生懸命やってみるといいかもね。そうすると、東京の見え方も変わるかもしれないよ

エ:……2拠点生活はどうですかね?

香:うーん、まずは1拠点完成させてからがいいんじゃない?
 
 

たとえば将来都会に出るとしても
田舎を知っていることが強みになるかも。
だから今は、目の前のことを一生懸命頑張って!
がんばっているうちに、自分の優れている部分が
きっと見えてくると思うよ(香取さん)

 
こんなことも
聞いてみました
 
川本高校(川本町)と邑智高校(美郷町)の
伝統を継承して誕生した島根中央高校。
閉校した学校出身の先生はどう感じていたんだろう
 
 
島根中央高等学校 教頭
奥野晴之先生
エノモトくん、ナンキさんにとっては数学と進路指導の先生
 

高校が無くなるとき、
自分は教員だから、
まず生徒のことを考えた

 
美郷町出身で川本高校卒の奥野晴之先生に、赴任中、母校の閉校式に教員として参加することになった時の気持ちを聞いてみると――
 教育の質を保証するために統合は仕方がないかなと頭では理解できるんだけど、いざ閉校式に出ると寂しい気持ちはあったかな。地域から「自分たちが卒業した高校がなくなる」わけだから複雑な思いを持つ人も多かった。自分は教員だから生徒のことが気がかり。しまね留学が始まって実は不安な気持ちもあったけど、でもそれは杞憂だったよ。みんなすぐ仲良くなってね
 人間関係に大きな変化がないまま育っていた地元の子どもたちに少し変化が訪れ、その変化は良いことだと感じられた。地域へはそのことを丁寧に説明して学校運営に理解を求めました
 今、島根中央高校は地域のみなさんの愛情に支えられて、これからも生徒のためにも地域のためにも良い方向へ向かっていくと信じています
 


 

島根中央高等学校 カヌー部顧問
堀田育子先生
日本代表として世界選手権2度出場。
高校教諭として赴任した大分県では指導者として国体で計5回優勝。
国際大会日本代表コーチも務めた
 
 

必死でがんばった経験が
きっと愛に変わる

 
 閉校になった邑智高校のカヌー部は強豪だった。現在、島根中央高校でカヌー部を指導する堀田育子先生も邑智高校カヌー部出身。選手時代には国体で優勝するなど輝かしい経歴を持つ。そんな先生に、邑智高校が無くなると聞いたときの気持ちを聞いてみると――

 当時、邑智高校がなくなるって聞いたときは、悲しいというよりも仕方ないって思ったかな。もしも、統合した島根中央高校にカヌー部がなくなっていたら、仕方ないでは済まなかったと思うけどね。だから、邑智高校の伝統であるカヌー部を今指導させてもらえていることは、本当にうれしい!
 学校や指導者が変わっても、カヌーという繋がりがある。部のOBは何かがあると手伝いや応援に駆けつけてくれる。ここには選手の保護者、応援してくれる人、カヌーに関わった人が大勢いる。邑智高校でも、島根中央高校でも、みんなここで必死に練習した思い出と、カヌー部に対する愛があるんだよ
 

 
Uターンの方に聞いてみました。
帰ってきてみてどうですか? 
 
地域活性化センターかわもと
(川本町観光協会 湯谷温泉弥山荘指定管理)
大久保一則さん
 

地元で働く人たちって
素敵だなと思うようになった

 
 大久保さんは大阪で大手建設会社に就職。東京、石川での勤務を経てUターン。現在は町のにぎわいを創る活動を行っている。Uターンした時の気持ちを聞いてみると――
 何を大事にするかだよね? 都会だって給与や出会いとか、いい面がたくさんあるよね。例えばエノモトくんの場合、東京に戻っても、島根に残っても喜ぶ人がいると思う。どちらがより自分を必要としてくれてるか。自分の代わりがいない所で生きた方が、色んな人の為になると思うんよね
 私の場合、自分が都会にいる時、同年代の誰かは地元で働いていた。人がいないと地域は維持できないから、地元で働いている人たちを素敵だなと思うようになった。戻ってみて、より川本のことを好きになったし、地元に住んだり、働いたりすることってとても素敵だと思うよ
 

 

農業体験も実践する
「まち親」さんに聞いてみました。
僕たちと一緒に農作業をして
楽しかったですか?

 

山あいの里田舎ツーリズム
南山智恵子さん 、雅之さん
 

子どものころの体験が
故郷への愛を育む

 

 南山智恵子さんは、長年小学校に勤務し、川本町立三原小学校の校長を務め定年。その後、夫の雅之さんと共に、都会の人が田舎の暮らしや文化を体験する「田舎ツーリズム」の受け入れ先として活動しながら、島根中央高校県外生の「まち親」となり、若者と地域を繋ぐ活動をしている。南山ご夫妻に、活動に対する思いを聞いてみると――
 「南山のおばあちゃんと、どこで何をした」という経験はきっと心に残ると思うから、私たちの活動を通してこの地域に愛着を持ってもらえたなら、それが一番うれしい。まち親の生徒と話すと、都会の生活経験の話が聞けて、こちらも刺激になりました
 私たちは子どもが小さいころ、松江で生活していたので、子どもたちにとっては松江が故郷になって川本に愛着があまりない。その代わり孫たちは、夏休みも冬休みも川本へ来てよく遊んでいたので、将来は田舎で暮らしてもいいと言ってくれる
 小中高ぐらいまでに育ったところは、心のよりどころ「故郷」になると思います。ここが自分の帰る場所の一つだと、思ってくれたらうれしいね
 そうだ、秋にはエゴマの収穫があるから、また手伝いにきてね。待ってるよ!