支えられていた私たち
 
 
久しぶりに
母校のある川本町を訪ねた私たちを
川本町の皆さんは
とても温かく迎えてくれた
 
 
山の中の高校に
送り出してくれた
両親や恩師の思いに触れた
 
 
いろいろな立場で、
大きな愛情と使命感をもって
チャンスを与える人がいた
 
 
島根は田舎だ
でも、今いるところで、
環境に言い訳をせず
真摯に仕事と向き合い
天職と出会って
チャンスをつかんだ人がいた
 
 
いろいろな人がいて
不思議な縁でつながっている
私たちも
もうその縁の中にいる
 
 
愛情はいつか返せた方がいい
 
 
だからローカルであろうと思う
 
 
 
 
 
 
 

第4回
 
たくさんの理由ときっかけ 

 ナンキさんが中学生のとき、地元の学校が閉校した。少人数の学校だった。転校先の中学では人の多さに馴染めなかった。人と話すのが苦手で、自分に自信がない。「この先どうなるんだろう」。そう思い続けていたあの頃がまるでウソのようだとナンキさんは思う
 
 自信がなかったのはエノモトくんも同じだ。でも今は新聞誌面で主人公として記事になり、編集の仕事も経験しながら、たくさんの人に応援してもらっている
 
 世界で求められている人材は「シナリオを描ける人」だという。ナンキさん、エノモトくんが経験した「しまね留学」も、世の中を変えたいと考えた「誰か」が描いたシナリオで、多くの人がその世界に賛同し、行動したということなのだろうか。少なくともその誰かのおかげで、2人は島根で頑張れている。そして、今、島根県の丸山達也知事にインタビューする機会を得た。「島根創生」というコンセプトで、これからの島根はどうあるべきかというシナリオを描いた、その人だ――

島根県
丸山達也知事(50歳)

福岡県出身。東京大学法学部卒業後、自治省入省。2019年4月より島根県知事。県外出身者が島根県知事になるのは戦後初。二男一女の父でもある

 



 

20歳のころは

 エノモトくん(以下―エ):はじめまして。丸山知事は今の私たちの年齢、20歳前後の頃、どんな夢や目標をお持ちでしたか?

 丸山知事(以下―丸):20歳のときは、東京で大学生でした。1回生のとき、年号が平成に変わり、時代はバブル真っ盛り。民間企業の業績がよく、就職先は商社や、銀行、証券などの金融系が人気でしたね。私は営業的な仕事、ノルマがあって、達成するために商品を売るという仕事は向いていないので、公務員、それも地方転勤が多いという理由で自治省(現総務省)に入省したいなと考えていました

 ナンキさん(以下―ナ):地方に転勤したかったんですか ?

 丸:そうなんです。私は福岡県の南部、広川町の出身。島根県の山間部と同じような田舎町で育ったので、東京での暮らしになかなか馴染めなかった。朝一番の授業を受けるのに満員電車に乗らないといけない。「人を押しのけてまでやらないといけない勉強」「このまま就職して毎日通勤ラッシュは嫌だな」と。だから自治省で地方転勤となれば、ゆっくり落ち着いて働けるんじゃないかなんて甘く考えてましたね
 
 エ:実際に入省された後はどうでしたか ?
 
 丸:予想以上の激務でした。国の予算と、それに関わる法律改正の仕事は、責任も重くハードなものでした
 
 ナ:ゆっくり落ち着いて、ではなかったんですね
 
 丸:理想に反して都会で猛烈に働いていましたね。でも、地方交付税の仕事では地方出張がありましたから、島根にも来たことがあったんですよ
 
 ナ:出張で訪れた島根の印象はどうでしたか?
 
 丸:最初の印象は、お城があって、宍道湖に雲の合間から光が射して……松江の景色を見てですが、神秘的だなぁと。一方で、公共交通機関や道路などインフラの整備は遅れているなと思いました。その後、2013年から3年間は出向して、島根県庁で仕事をすることになりました
 

若い2人からの質問に、気さくに答える丸山知事(島根県庁の一室にて) ※対談は新型コロナウイルス感染症に配慮した形で実施しました

 

 
 

勤勉で
実直な県民


 ナ:どうして県外出身者の方が島根県知事になられたんだろうと思っていたのですが、島根で生活されていたんですね
 
 丸:島根で、子育てをする親の立場を経験しました。妻と、子ども3人と一緒に生活してみての印象は勤勉で実直。私が出会った県民の皆様は、慎み深く、何事にも真面目に取り組み、正直。仕事面では県職員の仕事ぶりから、また生活面でもそう感じました。例えば、共働きの家庭が多く、自分のためではなく子どものため、時間を工夫して、金銭面でお子さんの将来の選択肢が狭まらないように懸命に働いておられる。そんな親の姿を見ながら子どもは育つ。それは質の高い生活だと思います
 行政の立場で考えると、懸命な皆様の舵取り役は責任が重い。3年島根で働き、その後、単身赴任で東京に戻りましたが、真面目に頑張っておられる県民の皆様のお手伝いがしたい、その機会を求めて、人生をかけて選挙に臨みました
 
 エ:重い決断ですよね。現役なのに退職して……それに比べ、まだ僕は県内に残るか悩んでいます。知事は僕にとって先輩Iターン者、背中をもう一押ししてもらえるような言葉をいただけませんか
 
 丸:東京と島根、都市と地方、どちらかが一方的にいいということはありません。でも東京のいいところは自然にマスコミから流れてくる。住宅、保育、医療、介護。客観的にみて島根の方がいいと言える部分もたくさんあるのに知られてないことが多い。私たち行政が積極的に発信しないと伝わらない。ちなみにエノモトくん帰省どうしてますか?
 
 エ:今年は新型コロナウイルスで帰れていませんが、例年はしょっちゅう帰ってました
 
 ナ:エノモトさんは東京に帰省するのか……帰省と聞くと都市から地方へ帰るイメージでした
 
 丸:東京で忙しく生活していると、親のいる地方へなかなか帰省できないものです。島根の比較的落ち着いた生活スタイルの方が帰省する余裕があると思う。島根で働き東京へ帰省する。そして、いざとなったら島根に大きな家を建てて、東京から両親を呼ぶ。介護のことを考えてもその方がいいかもしれない
 
 エ:なるほど、そんな生き方の先駆けになれたら……
 
 丸:今、新型コロナで社会のあり方が問われています。県知事の立場で、県民の皆様へ、いろいろなお願い、要請をせざるを得ないこともありました。
 ただ、島根では必要だと思ってお願いしたことに対してきちんと協力していただける。本当にありがたい。私の仕事はそんな勤勉で実直な県民の皆様の乗る船の舵取りです。島根にはいいところもあれば、変えた方がいいところもある。2人はどう思いますか?
 エノモトくんがご両親を地方へ呼ぶとき、選んでもらえる島根であるように、いいところは伝え、変えるべきことは変える。小さくても気持ちを一つにして物事に対処できる島根は、社会の変化に対応し変わっていけるはずです
 
 

 島根のいいところ、変えるべきところ……2人は丸山知事からお話を聞いて、もっとたくさんの人にこのこととを質問をしてみたいと思った
 
 まるで生徒会のときの雰囲気でアンケートを作成し、メールや郵送で、今までお世話になった先生や、役場の方、友人達に送付した
 
 そして今、アンケートを回収するため、再び川本町にいる。愛着のあるここは、帰れる場所という気がする――
 
 
 

 

 


 
 エ:たくさんの方がアンケートに答えてくださって、嬉しいし、ありがたいね
 
 ナ:そういえば! 東京にいる姉が、東京は意外と小さな公園が多いって言ってました。子どもが遊ぶのに、島根は公園が少ない、増やしたほうがいいって
 
 エ:えー、でも東京の公園は「ボール遊び禁止」とか「フェンスにボールを当てないで!」とか禁止看板だらけだよ、自由に遊べない。どんなことにも、いい面と、不都合な面がある。島根は田んぼでボール遊びしてるじゃん
 
 ナ:確かに、でも、私たち、自分たちで思っているよりたくさんの方に見守られてましたね。この半年、いろいろな方とお話させていただいて、どこで何をするにしても人間関係の中で生きているんだなと実感しました。また会いたいなと思える人がどんどん増えて。それに自分の人に対するお付き合いについて、知らず知らずのうちに撒いた種が必ず帰ってくる、帰ってきてくれると思いました
 
 エ:じゃあ僕らはけっこういい種を撒いてきたのかな?
 
 ナ:どなたもお忙しいのに気にかけてくださって、すごく幸せなことかもしれない
 
 エ:東京にいた頃︙︙まあ、今でもだけど、自分中心に考えてて、理想の姿があって、そうじゃない自分は恥ずかしいみたいな、何か活動するにしても、足りない自分を埋めるためで、結局自分のため、自分中心に考えてたのかな
 
 ナ:急にどうしました?
 
 エ:いや、その……島根で自分によくしてくださった皆さんに、この土地に、何か恩返しできたらなって、ちょっとだけだけど、自分のためだけじゃないなって思えたから……まだ、何にもできないけど
 
 ナ:私も、何にもできないですよ。でも、ロールモデル……あの人みたいになりたいって思える人が島根にはたくさんいるから……目標にして、今ここで、迷わずとことん仕事をがんばって、スキルを身につけ、本当の意味で活躍できて、貢献できる自分になりたいです。島根に残って、桑谷さんが教えてくれた「一隅(いちぐう)を照らす」働き方ができたらって思います
 
 エ:自分が輝くことで、周囲も輝く、そんなシナリオを描けたら……
 
 ナ:丸山知事にも家を建てて両親を呼んだらって言っていただきましたもんね!就活頑張ってくださいよ、私も仕事頑張ります!
 
 エ:残りたいと思える理由ときっかけは、たくさん与えてもらった。だから後は、自分たちが、頑張るだけだ―― 




 
 
 
 例えば、ローカル鉄道は地域の人々のために走る
 ローカル新聞は、地域の人に必要な地域の情報を届けてくれる
 私たちが、ローカルエノモト、ローカルナンキと呼ばれるとしたら、周囲の人にどのように思われているのだろう
 そんなふうに考えた
 
 
 誰かのために「ローカルであること」を考える
 
 
 そうすれば、東京にいても、島根にいても、どこにいたって「ローカル」だから輝ける、そんな自分になれる気がする
 
 最後に、今回の企画に協力と応援をいただいた皆様、自分たちは皆様に支えていただいていたことを再認識しました。本当にありがとうございます。そして島根県、川本町、山陰中央新報社の皆様、素晴らしい機会をありがとうございました